友里征耶氏のこと
友里 征耶さんという食の評論家のことをご存知でしょうか?
昨日、ちょっとした事件が起きました。メールを開いたところ、私のブログにコメントがありましたという通知が入っています。「辛口評論家 友里氏のブログからきました」というメッセージが。「え!??」
その方のブログでスペシャルティコーヒーを取り上げていただいたのです。
2008年12月22日更新分を是非ご一読ください。
(おおよそ10万ヒット/日ブログだそうですので、当店のヒット数も桁違いになってきております。素直に大変ありがたいと思っております。)
私は飲むことはもちろん食べることも大好きで、最終的には自分で食べてみなければ分からないというのが基本的考えではありますが、やはり色々な食の評論家の評価、ブログなども読ませていただいております。
友里氏は自己負担での覆面調査を基本としています。常に、ユーザー目線で評価をする希有な存在ですので私は一ユーザー(食べ手)として活用させていただいておりました。
友里氏とは一度だけ、都内の某所で食事をさせていただいたことがありますが、あとはメールでのやりとりがあるだけです。
私が何よりうれしかったのは、素直に「スペシャルティコーヒーがおいしかった、素晴らしかった」から取り上げていただけたということです。私のお店のURLを載せていただいたこともありがたかったですが、スペシャルティコーヒーが素晴らしかったということがベースになっていることにとても喜びを感じました。
また、一部の方が想像しているほど、友里氏と私のつながりは強いものではありません。もとより、頼んで取り上げていただけるものでもないでしょう。(現時点で私から友里氏へのお礼のメールも出していません。)
確かに、「こんなことまで書いてしまっていいのだろうか」とこちらが心配してしまうような辛口な方ですので、実際敵も多いのでしょう。(後に紹介させていただく講談社が運営するサイト ”モウラ” のコメント欄などみますと理解できます)
普段は書き込みが殆どない昨日の私のブログのコメント欄にもいくつかそのような方からコメントがございました。
確かに客観的な評価というのは、大変難しいものだと思います。私も毎日のようにコーヒーの味を評価しておりますが、自分の嗜好ではない客観性のある評価をすることの難しさを感じています。また、その責任の重さも考えさせられます。
人間が評価をする以上、100%の客観性を持った完璧な評価をすることは困難と思います。だからこそ、その評価した人間も含めて紡ぎだされる評価の果実を選択するユーザー側の考えがとても重要だと思っています。どのような内容の評価、評論であれ、選択する権利は常に受け取る側(ユーザー)が持っているからです。
ネガティブな内容を書かれたお店のことを考えますと、同じ飲食店を経営している身としては複雑に思うことも正直ございます。「自分はこれで食べているんだ!」という叫びも聞こえてきます。
ただし、私は友里氏の考えのベースは「食を愛する」ところにあると信じておりますので、書かれた側としてもやはり一度立ち止まり考えることも一つだと思います。友里氏の辛口の評論の先には何があるのでしょうか。冷静に考ますと、その先が見えてくるような気がしております。
色々な評価、考え方があるからこそ健全であると思います。コーヒーでありましたら、店主によるコーヒーの評価の違いが出るからこそお店によって味の違いが出て個性が出ることによる楽しさがあるのです。
来年はますます面白くなってきそうな気配です。
モウラ(講談社)というミシュラン東京掲載全店を友里氏というフィルターを通して、評価した企画もあります。ご参考までです。