友里 征耶 氏との会食 ② ユーザーの目線とは?
より正確な(ユーザー目線の)評論や調査の前提として、その対象物(料理)がユーザーが普段手にするものと「同一」でなければならないという前提条件があります。
おおもとのここに何かの「特別な待遇」などが入ってしまいますと、それをもとに書かれた記事、結果は一般顧客が手にするものと全く異なるものになってしまう可能性が大きい訳です。
ここを嫌っているのが友里征耶さんだと思います。
本来、記事には責任署名という意味で本名を記するのが当然と思います。しかし、経営者も人間ですので、匿名にしておきませんと、何かいつもと違うものが出てくることも考えられるわけです。
また、プロのライターの場合、どのような評論であれ、ギャラの出所が必ずある訳でして(当然です)、やはりその出所をあからさまに批判したり、都合の悪いことを書くことは難しいと考える方が無難と思います。
雑誌、新聞、テレビ、インターネット。。。
様々なメディアを通じて、活字、画像、映像が日々流れていきますが、その部分をどう受け手として差し引くか。
そのことは、職業ライターの方達の間ではある意味、不文律なのだと思います。グルメ評論というカテゴリーがあるとすれば、氏はその中で不文律を破ってしまったということでしょうか。
友里氏はフルタイムの評論家ではありません(本業は某企業の社長)ので、そういうことができるのだと主張される方もおられるでしょう。
しかし、結局、その記事をどうとるのか、取捨選択は常に読み手である我々次第なんですね。
日々、流れてくる「画像」、「映像」、「活字」など様々なメディアをどう解釈し、つきあっていくのか。
本当の意味での評価、評論なのか、それとも広告宣伝記事なのか。あるいは、その中間なのか。
広告宣伝の記事がだめと申しあげているのではありません。
「ある程度の客観性、合理性を期待させる評価、評論記事のように見えて、実際の中身は広告宣伝のためや、検証作業を経ていない記事だった」ということがあまりにも多いのが問題だと思います。
このような事情を知ることは、インターネットを含め、様々なメディアが混交する現代に生きる一般民衆の我々としては、大切な知恵だと思います。
ここを差し引きませんと、いつまでも真実に辿り着きません。いつまでも、不毛の議論を続けてしまう可能性があります。
そのために、無駄な時間とコストを払うのは常に末端にいる私たちなのです。
あとは、評価、評論する方のご経験、嗜好、人間性などが織り交ぜられたものが文章となって吐出されるということだと思います。
ですから、評価している人物が自分の嗜好、指向に合うかどうかを自ら判断し、その意見を取り入れるかどうかは常に読み手側にあることを意識する必要があるのではないでしょうか。
勿論、読み手側次第だから、何を書いても良いということではありません。公にする以上は、裏付け、検証は必要です。
友里征耶氏はこの裏付け、検証も実践されているのではないでしょうか。
③へ続く
*画像は本文とは関係がございません。(ホタテとホワイトアスパラガス オレンジソース:於 ミモレット)