とある天ぷらやさんにて
先日、都内に出張した際に、ある天ぷらやさんへ行きました。
いわゆる江戸前の旬の新鮮な食材を揚げていただく天ぷらやさんです。
凛としたこれ以上削ぎ落とせない茶室のような空間に、磨き込まれた塗装を施していない素の白木のカウンター。
研ぎすまされた空気の中、しかし不思議と居心地がよく、予約のお客が揃うと無言のうちに一気にご主人の仕事が始まります。
才巻き海老などは活きたもの(水槽などの活けではなく、おがくずで活けた箱入りのもの)を、お客さんが到着してから仕込み始めます。他の食材もほとんど、その場で包丁が入り仕込まれていきました。
勿論、油は常に新品の太白油を使います。
誤解のないように申しあげますと、ファストフードやお手軽な料理を否定しているのではないんです。
私自身、こちらのような天ぷらやさんとファストフードの天ぷら屋さんと普段の利用頻度を比較すれば、行きたくても20回に1回もこちらのお店を訪れることは難しいかもしれません。
しかし、伝統的な仕事をされた、日本の文化としての本当の(例えば)てんぷらなどの日本料理を知っておくことは日本人として、とても大切なことだと思っています。経験し、素晴らしさを理解したうえで、そのときそのときの懐具合、事情、趣味嗜好でいずれかを選べばいいんです。
例えば、外国からのお客様が日本にこられたとして、ここぞというときに「日本のてんぷらが食べてみたい」と言ってくれたなら、自分でしたら、やはり奮発してもこういったお店にお連れしたいと思います。
何でもかんでも、「価格だけが安いことが正義」というのでは、ちょっと寂しい。
逆に「値段が高ければ高級」なのでしょうか。これも少し違うようです。
高級に見えるかもしれませんが、一流のものかどうかはわかりません。
特にこれからの時代の中で(一般論としてですが、給料あまりあがりません、税金高くなります、年金は?です)、少しでも豊かに暮らすためのヒントは、その人にとって感動できる素晴らしきものを見抜くことができるかにあるのかもしれません。
往々にして「価値」とは、価格だけでは判断できないものです。
こちらのお店2回目だったと思うのですが、食べ終わってみて、いつもは行けないけど決して支払い額が高いとは思いませんでした。むしろ仕事の内容、食後感からすれば、大変価値が高いと思いました。
「また、いつか伺いたい」
お昼に伺ったのですが、熱燗を少しいただきました。
使い込まれた錫(すず)製の「ちろり」でお燗されてきました。たまに行く焼き鳥屋さんもそうなのですが、錫で燗されたものはなぜかまろやかでおいしく感じます。
帰り間際、他のお客様がいなくなりました店内でご主人がおもむろに何かを仕込み始めました。
「写真撮らせていただいても、よろしいでしょうか?」
「どうぞ、どうぞ」
どうやら、お新香のようです。
昔は自ら作るのが当たり前だったと思うのですが、お新香のような料理店にとっては脇役のものを、自前でなかなかやっていただけない世の中になってしまいました。
お寿司やさんのしょうが(がり)などもそうですね。今や自店で作っているところは、ごく限られたお店だけになってしまいましたね。
たとえ脇役の添え物であったとしても、自ら仕込むからこそ、お店によって味の違いがあり面白かったと思います。
こういった脇役の手を抜かないこと、どんなものを使うかは飲食店の盲点になっています。
こちらのお店は主役ではないお新香なども、真剣勝負でありました。